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戦国時代の流れを適当に書く

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1 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:51:53 ID:hAN

後醍醐天皇、幕府に反乱を持つ集団を率いて鎌倉幕府を滅ぼす

後醍醐天皇「俺は天皇だ、お前らと違う」←反発する勢力多数

足利尊氏(九州を中心とした地方勢力)VS後醍醐天皇(中央勢力)、決着はつかず寿命エンド

尊氏、幕府を開くが政情が不安定だったこともあり基本的に幕府の力は弱い

義満の時に西国大名が一時的に弱体化、なお信濃より東の東国大名は

義満以降、やっぱり幕府弱体化、赤松氏暴れる


8 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:53:54 ID:Abs
室町も実質戦国時代という風潮


13 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:55:36 ID:8vB
戦国につながる流れからちゃんと解説してて草


14 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:55:55 ID:hCp
ゴダイゴ天皇?


15 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:57:34 ID:JlN
>>14
室町幕府の初代将軍である足利尊氏と対立した天皇やで

戦国時代の原因には室町将軍の権威が弱い、つまり発足時に問題があったとも言えるしそっから振りかえらなアカンのやない


16 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)12:58:39 ID:hAN
②応仁の乱

将軍を殺した赤松氏を山名宗全が討つ→山名氏全盛期へ

義政政権後3勢力に分かれる

幕府派(伊勢貞親)大名主権派(山名宗全)どっちもどっち派(細川勝元)

ほぼ同時期に足利持氏以降暴れてた古河公方、完全に独立(東国、戦国時代突入へ)

義政、畠山家の内乱を煽って諸大名の弱体化を謀る

何故か畿内の火薬庫、大和で内乱(筒井家や十市家)(応仁の乱1)

飢饉とかいろいろあって、幕府の弱さが露呈&幕府でお家騒動(将軍誰にするか)発生

山名宗全、義尚と操って幕府掌握しようと図る

畠山家の争い、宗全の裏切りにより細川派弱体化(応仁の乱2)

細川勝元、焦って義視と結託(応仁の乱3)

細川VS山名の争いへ、京都焦土化


18 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:02:53 ID:hAN
③戦国時代へ
公家、ついに愛想を尽かして諸国へ逃げる(加賀・土佐・周防など)

九州、幕府弱体化に便乗して大内氏と大友氏、菊池氏が勢力強化

ほぼ10年で東北以外の日本全国の諸大名や豪族が勝手に地方を治め始める

義視派と義尚派の争い、まだまだ続き
幕府、ついに将軍が追放される(明応の政変)

とにかく不安定な世の中なので越前・畿内を中心にカルト宗教が勢力を伸ばす


20 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:03:36 ID:4Ex
歴史の教科書よりも丁寧


21 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:04:24 ID:3gk
応仁の乱はニコニコに解説動画があったな


23 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:11:01 ID:hAN
④三好政権へ
応仁の乱から50年ほど、大内・六角・細川の三勢力に集約

明応の政変の実行犯、細川政元頭がおかしくなる→細川家弱体化→家臣格だった三好氏の台頭

大内氏、ガチで天下統一目前だったが尼子経久や大友義鑑あたりが台頭し全盛期終了

六角氏も浅井亮政の独立により全盛期に陰り

この時期の諸大名
南部・伊達・佐竹・北条・越後長尾・武田・諏訪・小笠原・山内上杉・扇谷上杉
古河足利・今川・松平・織田・土岐・畠山・朝倉・若狭武田・浅井・六角・河内畠山
赤松・細川・三好(畿内派・阿波派)・一条・河野・尼子・浦上・大内・山名・大友
島津・相良・伊東


25 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:16:24 ID:pCz
はえ~ノブヤボのクソザコやった赤松ちゃんにも全盛期があったんやね


27 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:16:57 ID:tWW
>>25
鎌倉倒幕の時は大活躍やったな
なお恩賞


31 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:18:40 ID:hAN
⑤三好家の興亡
三好政元、朝倉宗適と六角定頼を味方につけ細川から政権奪取をもくろむ

三好元長・細川晴元、管領の細川高国を倒す(巻き込まれる形で浦上氏弱体化)

木沢長政によって政元無事死亡

三好長慶、12歳で家督を継ぐ

長慶、四兄弟と共に畿内へ殴り込み、いろいろああって政権奪取(天下統一その1)

三好家、四国と畿内で仲違いするようになる

諸勢力との戦いで十河一存と三好実休が不運の死

長慶、頭がおかしくなる

松永久秀「長慶様の命令を忠実に実行した結果wwwwwwwwwwwwンゴ・・・」

長慶の死後三好三人衆が独立、松永久秀が鎮圧に乗り出すも義輝と大仏があの世行きという結果に


40 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:30:17 ID:hAN
⑥北条家の興亡

足利義政の家臣伊勢貞親、幕府の政治に行き詰まりを感じるようになる

貞親の甥が伊勢新九郎が関東で一旗揚げる→北条氏成立へ

早雲・氏綱の代で隣の今川家といい感じの関係作りつつ関東へ相模・伊豆の2国をほぼ手中に収める

新興勢力の台頭に足利晴氏とゆかいな仲間たちが危機感を募らせる

氏康、おらつく

足利晴氏、周辺の諸勢力をまとめ河越城を攻撃

城主の北条綱成は6か月間籠城するが基本的に劣勢
北条氏康、古河公方に土下座しながら8000の兵を率いて河越城に救援開始

古河勢力、相手が下手に出ているので勝ったと確信、和睦を拒否

氏康・綱成、奇襲に成功→扇谷上杉氏滅亡&足利晴氏、信用を失い北条氏康に従属

北条派(北条・結城・多賀谷・高城)反北条派(佐竹・里見・小田・山内上杉・太田)どっちもどっち派(佐野・成田・上野長尾・上田)
そんなことより下剋上だ派(宇都宮・白河・江戸・大河原・那須)

なんだかんだで北条が終始有利、調子に乗って古河公方の当主に女性を据えたりやりたい放題

氏政慢心する、そして滅亡。なお反北条派の佐竹江戸時代ではトップ10に入るぐらいに大勢力に、太田も中堅大名
江戸時代に古河公方も生き残るが、なぜかホテル経営に目覚める


46 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:36:45 ID:hAN
⑦戦国時代前期に活躍した勢力の弱体化

大内氏←(攻撃)-尼子氏←(攻撃)-毛利氏(with 安芸・周防の国人衆のみなさん)

京極氏←(下剋上)-六角氏←(下剋上)←浅井氏-(一時的に同盟)→朝倉氏-(攻撃)→一向宗-(攻撃)→富樫氏

少弐氏←(下剋上)-龍造寺氏←(支援)-蒲池氏-(支援)→大友家-(覇権争い)→大内氏

織田、越前長尾や長宗我部、斎藤あたりの下剋上勢力が徐々に増える

三河武士、空前の当主リセマラブーム到来。なおやりすぎて今川氏に領地を奪われる


49 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:46:31 ID:hAN
⑧三国同盟とKOEI戦国時代の始まり

武田家 甲斐だけじゃ領国経営は無理、せめて交易港が欲しいが南の今川は強すぎる。信濃を抜けて飛騨・越前ルートを構想
北条家 関東統一が最終目標。でも佐竹・太田・里見の北条包囲網に加え、北から毘沙門天ガイジ、東から風林火山ガイジが定期的に攻めてくる
今川家 河越夜戦以降北条家との関係がぐだぐだ。東海道の交易路は確保したが、尾張の交易圏を手中に収め支配を盤石なものにしたい

太原雪斎の提案で当主の息子・娘同士を結婚させて三国同盟を成立させる←強い

誰とは言わんがルールを破った一人のせいでみんな不幸になった模様

義元、三国同盟を受けて2万5000を率いて尾張に進軍

【悲報】雨、そして

悲しいなぁ

織田信長、熱田神宮の経済効果を基盤に斎藤家と同盟&尾張統一に成功。副産物で今川義元の首をゲット

このころ義視派(三好長慶)と義尚派(細川藤孝)の争いが最終局面を迎える

足利義輝討たれる(永禄の変)細川藤孝、義輝の弟、義昭を連れて逃亡
久秀と三人衆は義栄を擁立


50 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:48:31 ID:pAn
ワイ馬鹿、義元1人が討たれたら国そのものがあっちゅう間に弱くなるってのがよくわからん
そんなにワンマンやったんか?


51 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:48:53 ID:hCp
>>50
義元と一緒に有能もいっぱい死んだんじゃなかったっけ


55 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:55:26 ID:hAN
>>51
家臣格も死んだが大ダメージって訳ではない
大物崩れも嘉吉の乱も大寧寺の変も当主討死=滅亡確定レベルでヤバい

当主の息子が弔い合戦するのが普通だが、氏真が領国安定化に走りすぎて諸勢力の支持を失った(あいつは戦争する能力がないと判断される)
結果、西の勢力(飯尾・天野・菅沼・奥平・牧野・井伊)が松平とコネクション持ち始めた


55 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)13:55:26 ID:hAN
⑨上洛への道

足利義昭、諸大名に支援を募る

明智光秀の提案によって美濃・尾張を支配下におさめた織田信長に支援要請

信長、堺の大交易圏が手に入るうま味もあり承諾、上洛開始の準備を始める

西の守り:武田信玄と松平元康と同盟
東の攻撃:北畠攻撃は一旦中止
北の守り:三木家といい感じの関係に

強敵六角氏・・・のはずが観音寺騒動でほぼ無抵抗で素通り

松永久秀とも戦らしい戦はせず降伏

斎藤龍興が三好三人衆と結託し京都を攻撃するが、明智光秀と細川藤孝によって撃退される(本国時の変・六条合戦)

織田信長、義昭を擁立に成功(第2の天下統一)


60 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:04:13 ID:hAN
⑩毛利と島津

大内と尼子の争いが激化

周辺の国人衆疲弊、合議制に近い新政府を望み始める

毛利元就、安芸を中心に有力国人衆と婚姻関係になり毛利家を中心とした第三勢力の樹立

大寧寺の変によってホモと多数の公家が死亡。毛利家思いがけない形で大内から独立

尼子晴久、政権安定化のため独自勢力だった新宮党を粛清。しかし毛利家との抗争中に病死

陶晴賢は強かったが、村上水軍の援助を受けて毛利with安芸国人衆軍団勝利(厳島の戦い)

大内・尼子を滅ぼし毛利家中国地方の半分を手中に収める→瀬戸内海の交易路確保に向けて動き出す

大友宗麟(吉岡長増・立花道雪)や尼子残党(山中鹿之助)が裏で結託し、示し合わせたかのように動くため
毛利家なかなか博多を支配下に抑えられない

多々良浜の戦い・大内輝弘の乱を最後に毛利家、北九州から完全撤退
ほどなくして嫡男隆元が死去。毛利元就、天下統一の夢をあきらめるよう遺言して死亡

後を継いだ輝元を補佐する形で両川が豊臣政権まで活躍したため豊臣政権ではナンバー4の勝ち組に


67 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:17:39 ID:hAN
島津

薩摩で内乱

薩摩で内乱

薩摩で内乱

ザビエルが宣教しに来る

薩摩で内乱

島津義久、島津本家・分家筋を一つにまとめ上げ薩摩を統一

途中肝付家の独立もあったが、大隅・日向三国統一を狙い始める

島津義弘軍300人、伊東軍3000を粉砕(木崎原の戦い)
島津軍の損害270

伊東家、周辺勢力の信用を無くし日向を追われる

島津家、相良を従属させ耳川の戦いで大友軍を壊滅させる

島津義久「九州統一も夢物語ではない」

島津家久、沖田畷の戦いで龍造寺軍を粉砕→有馬家を従属化

大友宗麟・伊東義祐、豊臣政権にSOS
数十万の軍を率いて九州征伐に乗り出す

島津軍あと少しのところで大友残党勢力(立花宗茂・筑紫広門・佐伯惟定・志賀親次・問注所統景)の抵抗にあい九州統一ならず
義久、怒りのあまり博多と府内館を放火して薩摩で再起を図る

途中四国の諸大名を討ち取りつつも根白坂で最終決戦

島津軍 島津義久 島津義弘 島津歳久 島津家久 島津忠長 猿渡信光 山田有信
豊臣軍 豊臣秀長 藤堂高虎 宮部継潤 黒田考高 小早川隆景 戸川達安 

島津軍大敗、島津義久降伏→豊臣家尾藤知宣、戦犯扱いされ処刑 島津歳久も島津従属に懐疑する豊臣関係者や反豊臣派の島津家臣を納得させるため自ら反乱を起こした後自害

石田三成の主導の下、九州の内政改革に乗り出す


61 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:05:53 ID:hCp
陶晴賢=傾国の美男子
という認識でおk?


67 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:17:39 ID:hAN
>>61
かつ軍事も有能。ただ自分で領国出来ると思い込んでるプライドの高さが弱点


69 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:26:51 ID:hAN
⑪織田包囲網

信長 → これまでの流れからするに室町幕府の将軍は弱すぎる。天皇の勅令で政権運営したい
義昭 → 幕府主導で政権運営したい

両者の政治スタンスの違いが亀裂を生む

義昭、信長の十七か条の例文にキレて朝倉・浅井・本願寺といった周辺諸国に信長を討つような命令を出す

織田信長、上洛しない朝倉を討つよう軍を率いるが途中で浅井長政の裏切りに会う(金ケ崎の戦い)

命からがら京都に戻る。浅井家に和睦するよう交渉するが拒否される

信長、泣く。ついでに比叡山も焼く

姉川の戦いで織田・徳川連合軍、浅井・朝倉連合軍を破る

ほどなくして浅井家・朝倉家滅亡。浅井旧臣は秀吉を中心に織田家へ取り込まれる→越前では一向宗を抑えていた勢力が消え無法地帯化

比叡山炎上に激怒した武田信玄が西上作戦を開始

脱糞。

石山合戦やいろいろあり、包囲網の黒幕が義昭と分かり、信長が追及する

足利義昭一時的に謝罪し高野山に移動するがすぐに脱出。毛利家に移動し再起を図る

信長、残った一向宗鎮圧に追われる(石山合戦・越前一向一揆)


71 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:33:57 ID:hAN
⑫武田征伐・本能寺の変

武田信玄、勢力拡大したはいいけど裏切り、根切りのオンパレードで周辺勢力からの評判最悪(真田家除く)

信玄死去。勝頼が名代(当主ではない)として後を継ぐが、穴山梅雪のような武田首脳陣、実家の諏訪家からもそっぽむかれる

武田周辺勢力が織田・徳川へ流れ始める(奥平・木曽)

懲罰制圧に出た徳川家康・織田信長が救援に来て失敗、一方穴山梅雪ら武田首脳陣は援軍を拒否し山縣・馬場・内藤といった軍事関係の重鎮格が死亡(長篠の戦い)

武田勝頼、中央政権化を図るが周辺勢力の裏切りを加速化

高天神城落城、木曽義昌の裏切りを契機に武田征伐が始動

武田に反抗する余力も無く、武田勝頼自刃。なお穴山梅雪は武田征伐が始まると同時に徳川に裏切る

そこから数か月もなく突如として明智光秀謀反を起こす(本能寺の変)


76 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:47:06 ID:hAN
⑬軍師官兵衛

木綿秀吉の異名を持つ羽柴秀吉、子飼いの将や長浜時代に得た近江衆(浅井旧臣が中心)と共に織田軍の主要な戦に参加

なんやかんやあって織田家のナンバー3ぐらいになる

播磨制圧時に播磨の大名小寺政職の家老だった黒田職隆・黒田考高が秀吉と接触。播磨平定に協力

石山合戦と摂津の大名荒木村重の謀反に呼応して小寺政職、織田家を裏切る。しかし黒田職隆は秀吉への従属を表明(この時期考高は村重に捕まり連絡がとれなくなる)

荒木村重逃亡後、考高が復帰。竹中半兵衛に代わる形で秀吉軍のブレーンになる(官兵衛は軍師というよりは交渉と軍事できる人)

三木城・鳥取城の戦いで勝利、毛利家焦る

浦上家を下剋上によって倒し備州三国を統一した宇喜多直家、織田家に接近。信長は裏切りまくる直家を敵視するが直家とコネクションのあった黒田考高が橋渡しとなって秀吉との間で同盟成立

考高の献策で難攻不落の高松城を水没させるが本能寺発生、羽柴秀吉と小早川隆景の間で和議成立

秀吉、光秀を倒し織田政権での発言権を強める(天王山の戦い)

清洲会議にて織田秀信を後継者にする。羽柴秀吉、織田家を完全に手中に収める

清洲会議に不満を持った柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで倒す。佐久間ガイジ自刃。佐久間盛政処刑。

柴田勝家を裏切った前田利家、引きこもるが「ねね」と「まつ」の間で和議成立。利家、引き続き北陸の平定を進める


77 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)14:49:09 ID:hCp
女は強いんやなって…


80 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:00:13 ID:hAN
>>77
単純に男同士だと本人の利権で勝手に交渉するから和議するときは女性が代表になることが多い
大坂冬の陣の和睦も阿茶局(家康側室、実質正室)と初(京極高次正室)


80 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:00:13 ID:hAN
⑭太閤立志伝

足利義昭、毛利家と羽柴家が同盟関係になったことで幕府の力を強くすることができなくなり将軍職を辞す(室町幕府滅亡)

織田信孝自刃

織田信雄、秀吉に政権をとられたことを今更気づく

信雄、家康に接近し政権奪取した秀吉を倒そうと画策

徳川軍は羽柴軍に勝利するも、秀吉が信雄を丸め込み 秀吉・信雄 VS 家康の流れになる

天正壬午の乱・上田合戦の大敗などに加え秀吉包囲網の瓦解、家老格の石川数正の出奔が決定打となり
家康は秀吉と和睦の道を模索する

①秀吉の妹朝日姫と家康が婚姻すること②家康の次男(結城秀康)を人質とすることで家康、秀吉と和睦。

秀吉、関白就任&惣無事令を出す(本当の天下統一)

惣無事に従わなかった北条・島津が成敗される(小田原征伐・九州征伐)


82 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:00:32 ID:hAN
⑮奥州仕置
伊達政宗、どさくさにまぎれて秀吉の惣無事令と小田原参陣を東北諸大名に伝えず東北周辺勢力の領地をかすめ取ろうとする(奥州仕置)

政宗「これで陸奥・羽州」
最上義光「父の葬儀で小田原参陣には遅れるとあらかじめ伝えている」
津軽為信「遅刻したけど、石田治部様が見逃してくれたンゴ」
南部利直「すでに小田原の話は別ルートから伝わってある」
戸沢盛安「泳いで参った」
片倉小十郎「殿、愛姫様の実家の田村家が小田原参陣しなかったことを理由に改易されました!」
伊達成実「政宗、もう戦争しないんか。あーつまんね。出奔するわ」
政宗「」


87 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:17:21 ID:hAN
⑯文禄・慶長の役

太閤検地を実施、いろいろ一揆もあったがほぼ鎮圧すると当時に大名に従わない国人衆を全て粛清
国人衆の中間支配、ここに終焉する

惣無事により内乱終了したことで商人の往来が減少し始める(交易圏が減衰し戦国バブルが萎み始める)

秀吉、東アジアさらには中央アジアを巻き込んだ大交易圏を構想。その第一段階として明国を従属させる必要があった

橋渡し役であった李子朝鮮を従属させるよう小西行長に交渉させるが、もちろん拒否

交渉決裂を理由に朝鮮半島へ日本軍が侵攻開始(文禄の役)

日本メンバー
宇喜多秀家・小早川隆景・小西行長・加藤清正・島津義弘・大友義統(途中へまして改易)
藤堂高虎・立花宗茂・小早川秀包・鍋島勝茂・毛利秀元・吉川広家・毛利勝信 他多数

最初のうちは全戦全勝だったが、民間人のレジスタンス化&明軍の救援到着によって形勢不利へ

小西行長、明の悪い人に騙されて日本降伏という形で国書偽造し和議

捏造がばれる、秀吉激怒し絶望の2回戦突入(慶長の役)

前回の戦いで対策していた朝鮮軍の抵抗で戦には勝っても日本軍のダメージが大きすぎる

鳴梁海戦で藤堂高虎、李舜臣に敗北(バトルオーシャン)。しかし陸路では朝鮮軍は撤退撤退&撤退

本国から家康・三成名義での撤退命令

小西行長、また騙され(2年ぶり3回目)明軍に城を包囲される

島津義弘・立花宗茂軍、小西行長救援のため明軍を攻撃(露梁海戦)
戦争では明軍が勝利するが、指揮官クラスは誰も捕縛することができず

朝鮮半島、ただ焦土となるだけで北斗の拳並の無法地帯化
日本からの和睦を拒否するが、清国の脅威もあって交易路復活の道を模索

1600年代に入り、小西行長から仕事を引き継いだ宗義智が国書捏造(御家芸)して朝鮮と国交回復に成功


91 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:25:53 ID:hAN
⑰豊臣政権の衰退

秀次事件・地震・朝鮮征伐と問題連発で秀吉の恐怖政治化が進む

羽柴秀長やなか(秀吉母)の死・千利休処刑・黒田考高粛清に近い形での隠居と羽柴時代を支えた重臣が減る

豊臣政権も武断派&尾張派(加藤清正・福島正則・浅野幸長・結城秀康)と文治派・近江派(石田三成・大谷吉継・石川貞清・片桐且元)で対立するように

大和豊臣家(羽柴秀長)、嫡子なしにより改易。筆頭家老だった藤堂高虎が豊臣家に愛想をつかし徳川家康に接近開始。
秀次事件で浅野家左遷。豊臣政権の長老格だった浅野長政が家康に接近開始

秀吉死去。

豊臣政権ナンバー2だった前田利家も死去

武断派・文治派の対立が激化(七将襲撃事件)


93 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:31:58 ID:hAN
このころの諸大名

蠣崎・津軽・南部・安東・戸沢・小野寺・伊達・最上
相馬・葦名・蒲生・佐竹・大関・大田原
徳川・成田・横瀬・里見・佐野・喜連川
上杉・前田・真田
加藤・福島・堀尾・中村・生駒・山内
石田・大谷・浅野・長束・細川・古田・京極・中川
長宗我部・藤堂・加藤・蜂須賀
毛利・宇喜多・宮部・亀井・小早川・池田
大友・立花・高橋・筑紫・竜造寺(鍋島)・松浦・有馬
島津・小西・相良・伊東・秋月


96 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:39:12 ID:hAN
⑱関ヶ原前夜・五大老の立ち位置

五大老間で豊臣政権奪取をもくろみデスゲーム開始

徳川:豊臣政権運営に積極的。浅利領土問題で三成と対立。三河武士の間に空前の領土開拓ブーム到来

前田:政権運営に消極的。調整役だった利家が死に、家康から豊臣家への謀反の疑いをかけられる
利家の正妻、まつが交渉役に立ち事なきを得るが天下統一レースへの道からは外れる

毛利:豊臣政権とは独自に運営したい。朝鮮征伐に金掛け過ぎてダメージが大きい。輝元の領土拡張構想と現状維持のブレーン層との間で対立

宇喜多:豊臣政権再右翼。宇喜多騒動でアヘアへ

上杉:豊臣政権とは独自に運営したい。隣国の伊達政宗があまりにも不穏すぎる。最上義光とも領土問題で火種を抱える

小早川:三成死ね。


97 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:43:20 ID:hAN
⑲関ヶ原前夜・上杉征伐

七将襲撃で三成隠居

宇喜多騒動で宇喜多秀家無力化、対応に失敗した大谷吉継が出世コースから外れる

宇喜多・前田・石田を無力化した家康、藤堂高虎・浅野長政・島津義久・細川幽斎と仲良くなる
新庄直頼(近江の大名なので政権に近い)・山名豊国(秀吉に近い立ち位置なので政権中枢の話が知れる)・有馬豊氏(山名と同様)と仲良くなる

上杉無力化に動き出す

直江状

家康、挑発に乗り上杉征伐に乗り出す。伏見城に鳥居元忠を留守番させる


98 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)15:53:59 ID:hAN
⑳関ヶ原前夜・三成挙兵

そもそも家康VS三成は五奉行VS五大老の対立でもある
(家康を倒しても毛利や上杉が後に三成と対立するリスクはあった)

三成「家康を政権」
吉継「お前じゃ無理」

毛利・宇喜多を総大将として家康打倒の命令を西国諸大名に出す

結果は・・・

毛利:そんなことより領土拡張だ
宇喜多:賛成
亀井:賛成(参陣するとは言ってない)
宮部:反対(なお西軍に寝返る模様)
立花:賛成
鍋島:どっちもどっち
筑紫:賛成(最近の研究で当主は東軍だったけど立花宗茂の与力だったため賛成せざるを得なかった)
小早川:反対だったけど勝手に西軍にされた
蜂須賀:反対
小西:賛成
島津:反対だったけど勝手に西軍にされた
長宗我部:反対だったけど勝手に西軍にされた


大谷「妻子を人質にとろう(提案)」

細川ガラシャ、自刃。人質作戦失敗なうえ、細川忠興が殺意の波動に目覚める

小早川秀秋を強引に西軍に引き入れて伏見城攻撃(三成挙兵)鳥居元忠自刃。

知らせを受けた家康、軍を引き換えし諸大名から三成を討つことの確認(小山評定)

真田昌幸(アンチ家康)・真田信繁(石田三成の与力大名)・田丸直昌(本拠地が長束正家と石田三成の領地に挟まれている)以外の全員が東軍に


101 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:02:46 ID:hAN
21 関ヶ原前夜・緒戦

東北方面:長谷堂城の戦いで上杉(西)、最上(東)に敗北。福島城の戦いでは上杉(西)、伊達(東)に勝利。小野寺(西)を周辺大名が全員で攻撃

関東:結城秀康を大将とする駐留軍が佐竹・上杉・伊達に対して圧力。

東海道:元々家康の領土であったこと、小山評定で全員東軍に引き入れたこともあって猛スピードで進軍&各城から兵士と合流しながら進む

中山道:真田昌幸迫真のディフェンス

北陸:前田利長、どっちが勝ってもいいよに周辺大名をことごとく攻撃。戦が勝った方に(周辺国は負けた側だった)と言いふらす予定だった。
結果、丹羽長重が巻き込まれ改易

美濃・尾張:織田秀信が桶狭間の再現をしようと福島正則を奇襲(長良川の戦い)、なお二回目はない模様。

畿内:九鬼家が親子で分かれ、馴れ合いの戦争開始。紀伊半島周りから他の大名が移動できなくなる

中国・四国:毛利輝元、周辺大名家へ侵攻開始。大友義統を煽って九州にも兵を進める

九州:北部地域→黒田考高暴走 南部地域→加藤清正暴走 の地獄絵図


104 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:09:53 ID:hAN
22 関ヶ原の戦い

織田秀信の単独行動で岐阜城が落城したこと
最終防衛ラインだった大垣城が小早川秀秋の暴走で家康進軍経路にぶつけられなかったこと
>>98の時点ですでに大多数の諸大名が家康にコネクション持ってたこともあり、三成と吉継と秀家だけしか戦ってない状況

小早川・吉川の裏切り(予定調和)と脇坂の調略(土壇場での裏切りだったっぽい)
さらい朽木・小川・赤座の便乗により大谷軍壊滅。→西軍総崩れ

大津城に鎮座していた後詰の立花宗茂・小早川秀包・高橋直次、大阪城に撤退し毛利輝元に再戦を要求する

TERU「飽きたから帰るわ。終戦工作は吉川に任せる」

東軍勝利に終了
戦後の加増・改易などの整理を行う。三河武士に人事担当できる人間が少なく、井伊直政過労死。


105 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:17:21 ID:hAN
23 江戸幕府成立

殺意の波動に目覚めた細川忠興、どさくさに紛れて丹後で暴走

巻き込まれる形で赤松則秀が切腹→赤松家断絶

(今川氏真、大沢基宿らが京の公家衆とコネクションを持つ)

公家衆の推挙もあって家康、征夷大将軍に就任。江戸幕府を開く

豊臣政権末期の反省から
榊原康政・大久保忠燐らから林羅山・金池院崇伝といった首脳陣を刷新(老臣争うは亡国の印)

武断派の諸大名と文治派の大半は徳川の外様大名として成立

関ヶ原で改易された大名の恩赦や再就職を行う
来島・新庄・相馬・立花・丹羽→大名復帰
小野寺・田丸・筑紫→どこかの大名に再就職の斡旋
宇喜多→罪一等を取り下げ八丈島に流罪(流刑地の八丈島整備を宇喜多に押し付けたかった説)
真田昌幸・信繁→ うーん、九度山で飼い殺し!w


107 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:23:41 ID:hAN
24 大坂の陣 その1

豊臣家、政権運営は文治派かつ近江衆のさらに藤堂高虎といった上澄みを取り除いた残りかすしかいなくなる

片桐且元、家康と交渉しつつ豊臣家存続の道を模索

この動きが新たに台頭してきたタカ派の目に留まり和平派(片桐且元)と戦争派(大野治胤・木村重成)の間で対立

方広寺鐘銘事件がきっかけとして片桐且元失脚。
この事件が大坂の陣に直接つながったわけでなく、片桐且元の失脚を理由に大坂の陣の契機をつくった

家康は、「片桐が失脚した以上、豊臣家をまとめる人間はいない。「戦争する」という圧力をかければ秀頼は幕府に従うだろう」
という目論見だったが、秀頼はガチで戦争を始めた模様


109 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:40:11 ID:hAN
江戸幕府初期の諸大名

東北 
津軽 南部 佐竹(与力大名 浅利) 六郷 戸沢 安東→秋田(幕僚となった息子が、暴政を理由に父の実季を改易させる。以後秋田家は代官職として羽後を治める)
伊達(与力大名 片倉・亘理伊達・田村)相馬 岩城 酒井 最上(最上騒動で1万石に改易。以降山形は譜代大名の窓際席扱いに)
上杉 保科 蒲生(後に改易)

関東
大関 大田原 水戸徳川 真田(後に圧政を理由に沼田領は召し上げ) 屋代(室賀正武の弟が継いだ、一時的に大名昇格) 
榊原 大久保 本多 奥平 喜連川 丹羽 里見(後に断絶)

甲信越
松平忠輝家 溝口 小笠原 諏訪 仙石(江戸時代中期では幕府中枢になってて草生える)

東海 
尾張徳川 太田 

北陸
前田(半分与力に近い形で 高山 長 赤座) 越前松平

畿内
井伊 京極 藤堂 紀伊徳川(与力大名 水野 正木 安藤) 池田 九鬼 朽木 脇坂

中国
毛利(与力大名 吉川 小早川→毛利 穂井田→毛利 宍戸) 池田 浅野  古田(古田騒動で改易)
福島(後に改易)水野

四国
山内 伊達分家 蜂須賀

九州
立花(与力大名 高橋→立花) 有馬(播磨有馬家) 有馬(キリシタンの方) 中川
秋月 加藤(後に改易) 島津 伊東 相良 細川(与力大名 松井)黒田 鍋島(与力大名 龍造寺)松浦


110 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)16:47:20 ID:hAN
25 大坂の陣 2 大御所政治

小笠原・諏訪・仙石と次々と譜代大名に昇格
飴と鞭政策で大名を手なづける(本多正信・本多正純・大久保忠燐・土井利勝が主導)

公家、長く続いた戦乱の世に頭がおかしくなって御所で乱交パーティーをはじめる

天皇から関わった人間を処刑しろと指示されるが、関係者が大物だらけだったので幕府流罪もしくは閉門程度にお茶を濁す(板倉勝重が主導)

天皇家との徳川家の繋がりを進める(藤堂高虎・阿茶局が主導)

各種法律を制定(土井利勝・林羅山・崇伝・天海が主導)

江戸開発が一定の目途がたつ、拡張させながら利根川工事も進める(伊奈忠次・藤堂高虎が主導。費用は外様大名持ちで)

政権安定化を進める一方で秀頼は各大名に号令をかけたり関ヶ原やそれ以降に浪人を集めていた


111 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:02:48 ID:hAN
26 諸大名の政権運営

佐竹:水戸から秋田へ転封。佐竹義宣は梅津や渋沢といった有能人材を出自を問わず重用し安東家の戦いで疲弊した領国を安定させる方針で進めた
(梅津日記、雪の峠参照)。20万石の石高確定したのは義宣の死後以降。石高が高い=楽な生活というわけでもなく、予算が少ない以外は常陸時代よりむしろ栄転

伊達:支倉常長をスペインに派遣し、国交を単独で結ぼうとする。また娘を忠輝に嫁がせ将軍の外祖父も狙う。領国経営は家臣にそのまま分地する旧式のもの

上杉:120万→30万の大減俸。内乱分子を抑えつつ直江兼続が領国経営に腐心した。
その後も減俸されまくるが、上杉鷹山の時代に安定化

前田:十村制度の導入。赤座吉家や高山右近をはじめとする土木が得意な理系官僚(テクノクラート)育成に力を入れた
正直言って、前田利常の領国経営は家康や秀忠よりも有能。

井伊:武田旧臣(井伊直孝)と井伊谷譜代(井伊直継)の2家に分家。東海道の抑えとしえ井伊家は江戸幕府を通して幕府の中枢であり続けた

藤堂:井伊家と並ぶ譜代大名の雄。城郭・町割・大名間の婚姻と重要な場面を藤堂家が担当した。
家康の死の直前、徳川家臣以外で唯一高虎のみが臨終を看取ることを許されている

毛利:輝元は領国経営「だけ」は有能だった。萩の町を歩くとその実績がよくわかる

池田:くわしいことわかりません。池田学校とか?

山内:長宗我部旧臣とそれ以降の上士の対立構造を作る。これが幕末に大きな動きを見せることに

島津:領地内のやりくりに息づまり、琉球出兵や密貿易で政権を維持した


112 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:10:51 ID:hAN
27 大坂の陣3 大坂冬の陣

秀頼、大坂退去を拒否。幕府軍が兵を進め大坂の陣勃発

木津川の戦い
蜂須賀至鎮○ 明石全登×(不在)

鴫野・今福の戦い
上杉景勝・佐竹義宣○ 後藤又兵衛・木村重成・大野治長・渡辺糺×

博労淵の戦い
池田忠雄○ 薄田兼相×(不在)
 
野田・福島の戦い
九鬼守隆・向井忠勝・戸川達安○ 大野治胤×

真田丸の戦い
前田利常 井伊直孝× 真田信繁・木村重成・長宗我部盛親○


阿茶局・浅井三姉妹「初」との間で和議成立。
堀を埋め立てることで休戦になったが・・・

幕府は浪人衆をまだ解放していないことを理由に再度大坂退去を要求
拒否した秀頼は再度戦となる


116 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:18:23 ID:hAN
28 大坂夏の陣
樫井の戦い 
浅野長晟○ 塙団右衛門×

道明寺合戦
水野勝成 松平忠明○      後藤又兵衛・薄田兼相・明石全登× 
後続 伊達政宗・松平忠輝    後続 真田信繁・毛利勝永

八尾の戦い
藤堂高虎・井伊直孝○ 長曾我部盛親×

若江の戦い
井伊直孝・丹羽長重・諏訪忠恒○ 木村重成

岡山口の戦い
徳川秀忠・前田利常・井伊直孝・藤堂高虎・立花宗茂・黒田長政○
大野治胤・御宿官兵衛×

天王寺口の戦い(戦国時代最後の戦い)
本多忠朝・真田信吉・松平忠直・小笠原秀政・酒井家次・水野勝成・伊達政宗・脱糞

真田信繁・真田大助・毛利勝永・大谷吉治・細川興秋


120 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:31:04 ID:hAN
29 戦国時代の終焉

天王寺・岡山の戦いでは真田・毛利隊の奮戦もあったが、一時間程度で幕府方の混乱は収まり
信繁は討死、勝永は敗残兵をまとめて撤退を余儀なくされる

大野治長が最終交渉に出て、自分と治胤の切腹と秀頼の伊勢一国減俸&淀の人質という条件で和議しようとする

幕府方はこれを拒否(家康は大野に賛同し、大野切腹+秀頼高家化を提案したが秀忠が断固反対したとされる)

その夜大坂城の台所内部で出火し炎上(真田丸でやってたけど史実です)

翌日朝、井伊直孝隊に包囲され、秀頼と淀は毛利勝永によって介錯され自害した

その後幕府軍の戦後処理開始(乱捕りなど第二次世界大戦後のベルリン並にひどかったらしい)

戦後処理

秀頼の子は国松が処刑、天秀尼が助命(方慶寺住職)
長宗我部盛親・大野道犬(治永の弟)が処刑
明石全登は行方不明(後に子供が見つかり処刑されている)
増田盛次・古田織部・細川興秋は切腹
真田信繁の子供らは片倉家に匿われ、仙台真田家を設立
織田有楽はおとがめなし(嫡男頼長を廃嫡し、弟ら2人に分地)

松平忠輝はその後いろいろあって改易、伊達政宗幕府乗っ取りの目論見もここで潰える


127 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:39:28 ID:hAN
ラスト 家康の死と江戸時代の始動

家康、元和堰武を宣言。戦国時代が完全に終焉する(ただし、村同士の争いは綱吉の時代はで偶発的に発生した)

武家諸法度・一国一城令の制定

1616年1月 鷹狩中に倒れる
3月 朝廷から太政大臣の任命(武家出身者では4人目)
4月17日午前10時ごろ、駿府城で死去 享年75。
席に居合わせたのは(阿茶局・茶阿局(忠輝母)・高虎・崇伝?・天海・本多正純)と考えられる

東照大権現が贈られる

秀忠、残りの親豊臣派の大名の弱体化を続ける

それから・・・

島原の乱・由井正雪事件を最後に主だった武力衝突は無くなり、太平の世が訪れる


129 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:41:56 ID:hAN
15~16ぐらいで終わらせる予定だったけど
書いていくうちにあれも話したいこれも解説したいで支離滅裂な文章になったンゴ

結構ワイの主観が入ってるので訂正とかどんどん受け付けるやで
夕飯の用意しながら見てるわ


132 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:45:46 ID:Swt
寺とかいう城

東寺とか西本願寺とか周りに堀があるあたり武装してた名残なんやろなぁと


133 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)17:47:30 ID:hAN
>>132
日本全国には数万の城があるので
近所の裏山のてっぺんに櫓立てたり、堀を作ったりしただけで城扱いできたんやで

逆に言えば、殿様が城じゃないと言えば城じゃないんです。ソースは伊達政宗


136 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)18:01:11 ID:wpl
④三好政権へ
明応の政変により、将軍は事実上、お飾りに。
細川への対抗上、義材を担いでた畠山も没落。(三管領時代の終焉)

義材自身は、配流先から脱出し、畠山氏領国の越中へ(放生津幕府)

明応の政変の実行犯、細川政元、修験道に傾倒して、生涯不犯とか言い出す(笑)

実子が居ないため、貴族から澄之、一門から澄元(嫡子)、義高(高国)を養子に。

一門じゃない澄之が後継者レースの主導権を握るため、政元を幽閉、殺害

澄之、周りの支持を得られず、澄元に潰される

高国、宿敵である大内氏、足利義材と結託し、澄元を攻撃、追放(両細川の乱)

しかし、堺派と博多派の争いが再燃し、中国、寧波で両派が衝突(寧波の乱)
これに前後して、大内氏と細川高国の同盟関係破綻。義材も高国派離脱。

高国、恥も外聞もなく、足利義澄の子・義晴を担ぎ出す。反対派の家臣を粛清。

同盟の破綻と、あまりの無茶に高国派崩壊し、澄元の子・晴元に敗れる。
この時、澄元・晴元に代わり、実質的な指揮を執った三好氏が台頭。

応仁の乱から50年ほど、大内氏(義材派)・六角氏(義晴派)・細川氏の三勢力に集約

大内氏、ガチで天下統一目前だったが尼子経久や大友義鑑あたりが台頭し全盛期終了

六角氏も、一族の京極氏から下剋上を果たした浅井亮政の登場により全盛期に陰り


137 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)18:07:33 ID:hAN
戸川達安が2回名前が出ていたのでちょっと調べてみた

・父戸川秀安は、宇喜多三家老の一人
・13歳で初陣、辛川の戦いで小早川隆景を撃退に成功
・宇喜多家臣として、備中高松・小牧長久手・根来攻め・九州征伐・根白坂の戦いに出陣
・朝鮮征伐では宇喜多軍の主力部隊として出陣
・家臣との対立を巡って宇喜多騒動を引き起こす
・木曽川の戦いで一番槍を挙げる(この戦いが関ヶ原における決勝打)
・島左近を討ち取る
・戦後、備中3万石の譜代大名になる
・大坂の陣にて西から攻撃、大野治胤を破る
・福島正則改易の際に、その処理(城受け取りなど)を担当
・戸川家はその後大名→途中から無嗣断絶で旗本降格として現在に血筋を残している


これは佐久間盛政よりも有能武将
真のマイナーだけど


138 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)18:18:06 ID:wpl
ワイは3~4の間が専攻やったから、大まかに書き足しといたで。

この頃の勢力争いって、
・畿内(応仁文明の乱、長享延徳の乱(鈎の陣)、両細川の乱)
・関東(永享の乱、享徳の乱、後北条氏勃興)
・九州(大友政親の乱、少弐・大内戦争、大友・大内戦争など)
の三極の争いを中心に、お互い干渉しあってるから面白い。


139 :名無しのこじまさん:2017/07/30(日)18:20:14 ID:hAN
>>138
サンキューやで
この時代は大正義大内軍やったんやけどなぁ

戦国時代通してみると秀吉だけ異質すぎるんだよなぁ


1001 :名無しのこじまさん: ID:kojimasan
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1501386713/


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